子どもとの関わり方

Yahooの家族系漫画を読んでいると、時々もやっとすることがある。

1番もやっとするのは
「嫌いな、もしくは問題のある配偶者と離婚しました。これからは子どもと力を合わせて生きていきます。めでたしめでたし。」
系の話。

私は離婚をすることにもやっとしているわけではない。
離婚する理由はそれぞれだからな。

もやっとしている所は、これ系の話って結構な確率で、
「子どもを1人で育てるのは金銭的に厳しい。しかし、子どもなしで生きるのは考えられない!」
みたいな話があるのだ。
金銭問題が何も解決してないし、感情で結論を出している気がする。
感情も重要な理由にはなるが、それを子どもはちゃんと理解して受け止められているの?と疑問に思う。

暴力系暴言系で子どもが怖がっていたら離婚は間違いなく子どもにとって有益だろう。
でも小さな諍いが積み重なってる系の場合、つまり子どもが配偶者のことを悪く思ってない場合って子どもと相談したりするのだろうか。

もちろん漫画のことなので細かいところを省略しているのだろうけど。

そりゃ仕事をすればお金は稼げるけど、言うほど稼げないと思うし、何より子どもと関わる時間も減る。

何度も言うが、私は離婚をするなと言っているのではなく、子どもにそのことを理解してもらってるのか、と気になっているのだ。

子どもに離婚をして良いか確認したら自分の決断で親が離婚したと勘違いする危険性もあるので聞き方が重要だが、自分の家族のことなのに気がついたらバラバラになっていて生活も苦しくなったら驚かないのだろうか。

今から捨てる配偶者のことはどうでも良いのだ。これから一緒に暮らす子どもと対等な家族として向き合っているのだろうか。
漫画を読んでいると配偶者の問題点はよく分かるのだが、子どもと話し合っている箇所が無いことが多く、見ていてすごく不安になる。

これは配偶者の悪口を子どもに吹き込めと言っているのではなく、
①自分は今このような問題を抱えている。
②解決を試みてこのような策を講じたが上手くいかず、これ以上、配偶者との関係性をつづけることが難しい。
③離婚を視野に入れており、その場合このような問題点が発生する。
④自分は配偶者とこれ以上生活をするのは困難であるため家を出るが、子どものことは大切に思っているので離れたくない。是非ついてきて欲しい。

と言うような感じでフラットに子どもと話して欲しいということだ。

最近子どもの人権とか居場所とかについて考える事件が多かったから(トー横とかね)、そもそも家庭の中で1人の人間として尊重されてるのかな、と思ったのだ。

子どもって選択肢がないから全てを受け入れ全てを許すしかないよね。
「子どもと冷静に離婚について話し合う情景が当然のように省略されていること」
に違和感を覚えるのだと思う。

子供は庇護の対象であり、話し合う対象ではないという私たちの潜在意識を投影しているように見える。


私の家族だって、今後どんな感じになるかわからない。
家族がどんな形になろうとも、子どもとはなんでも話し合いたいなと思う。
子どもの意見を全て通すという気はない。
みんなの意見をまとめた上で、結論を出したい。
1人の人間としてどこまで向き合えるのか、今後の人生で色々経験してみたい。