毒のある人間関係

昨日は夫が携帯電話を忘れて行った。

 

携帯電話を忘れる、そんだけである。

でも何故か私は自分が怒られるのではないかと一日中そわそわしていた。

 

決して夫がモラハラ気質でそれに怯えてるとかではない。

 

なんとなく、他人のミスまで自分のせいにされる!とそわそわするクセがあるのだ。

そしてその時に思い浮かぶ顔は同じ顔だったりする。

 

 

大学時代の友人にAという人がいた。

AにはBという友人がいて、端的に関係を表すとBがAをモラハラというかマウンティングのような言動で支配する関係だった。

なのでAはBとご飯を食べる時に私を連れて行き、Bの矛先を私に向けることで上手く人間関係を回そうとしていた。

もちろん私は嫌だったので2、3回ご飯を食べて相手の意図を理解した後、一人でご飯を食べるようになった。

 

厄介なのはたぶんAもBも無意識なのだ。

Bのことを悪く言うAに、そんなに言うなら一緒にいなければ良いと言ったら

そしたらBに友達がいなくなって可哀想

と言っていた。

結局、BもAを見下しているのだ。

お互いがお互いを見下してるから成り立つ関係なんだな、と理解した。

 

 

最近やっと気づいたが、私は人と仲が悪くなることも苦手だが、人と必要以上に仲良くなることも苦手だ。

自分達って仲良しでいけてるだろ?っていう関係って窮屈じゃない?

人間関係にルールが発生するというか。

私は暗黙のルールがたくさんあると、すごく疲れるタイプだ。

暗黙のルールが多い方が特権意識を満たせるというか、安心するタイプもいるよね。

 

大学時代は仲良しマウントも見下しマウントも多く、私は毎日疲れていた。

そしてその疲労が自立への第一歩というか、自己の確立への第一歩なんだよな、と今では思う。

 

社会人になって、色々あって、最近やっと人と仲良くしなくてもいーや、と割り切れるようになってきた。

 

でもいまだにあのマウント地獄で培われた

〇〇ちゃん(私)って変わってるね

という呪いの見下しから完全には解放されていない。

からしたらマウント地獄で生き生きとしているあなた達の方がよほど変わっている。

 

そもそも、進んでぼっち飯する私は一人でいることに可哀想とも思わないし、ぼっち飯が寂しかったら誰かに連絡する。

その程度で良いかな、って感じ。

 

遊ぶために友達がいるというか、この指止まれとした時に集まってくれた人と遊ぶ的な。

この指止まれで人を集められるように、いろんな人との関係を大事にする、くらいが良いよなと最近思う。

 

 

 

ついでに携帯電話を忘れた夫は普通に帰ってきて、普通にご飯食べた。

オハギも食べて満足したらしい。

 

夫は小さい頃に親の転勤で居住地がコロコロ変わっていたためか、彼も人間関係に縛られていない人間だ。

 

そこら辺が似ているのかも。