育児と介護はクロスする

ベンジャミン・バトン 数奇な人生」という映画をご存知だろうか?

 

私が珍しく1人で見に行き、おそらく人生で1番影響を受けている映画だ。

 

内容はベンジャミンバトンという男の人生について。

彼は80歳くらいの体で産まれ、どんどん若返る体質だった。

小さい頃からの幼馴染と恋に落ち結婚するが、彼女は歳を取り、彼は若返る。

彼のそばで歳をとることに耐えられなかった幼馴染と別れ、彼は若返りながら最後は赤子になり、死んでいくと言うお話。

 

何がすごいって、記憶を失っていく認知症のお年寄りは、記憶というものが存在しない赤ちゃんと一緒なのだということを暗にその映画が伝えていると言うこと。

人は最期に体の自由を失い記憶をなくすが、それは新生児の姿とクロスするのだ。

歳をとり偏屈でなんでも否定的になるのは2歳児のイヤイヤ期と一緒なのだ。

 

実際に新生児育児をしていて、寝ながらうわーうわーと泣く息子さんを見ながら寝たきりの老人の介護ってこんな感じなんだろうな、と思う。

違いはサイズ感と哺乳類は赤ちゃんを育てる為に体の色んな機能を最適化されてるのに対して、介護を想定した体はしていないということか。

 

哺乳類っていうワードがまさに子どもを育てるのに特化してるよね。

母乳って要は蛇口ひねったらジュースが出るよみたいな、なかなかファンキーな機能だと思う。

ミルク作るの面倒なんだよね。

でも乳頭吸えばミルク出てくるんだからいいよな。

 

あと子どもが可愛く思えるようにオキシトシンというホルモンも出る。

育児のモチベーションを自家生産できるのだ。

本当、仕事ってモチベーション大事だもんね。

 

 

良い仕事をするには適した機能とモチベーション。

わかってんじゃん。

 

本当は人間は群れで子育てをする生き物だから、子どもの数を増やしたかったら群れを作るのが1番いいのだろうけどね。

夫婦とか、実家とか、友達とか。

 

 

逆に言うと介護ってそれらがない状態で同じ事しないといけないんだよね。

しかもサイズが大きい。

5キロの息子さんを抱っこするのでもしんどいのに、最悪この10倍以上の重さの人間を抱っこしないといけないんだ、と思うと想像するだけで疲れる。

 

 

じゃあ介護なんていらない、しないとどうなるかと言うと、たぶん働くモチベーションが維持できない。

死ぬまで終わらないマラソンを走らされてて、怪我したらそのまま死ぬみたいなイメージ。

老後が少し楽で、第二の人生に希望が持てないと働き盛りを走り抜くのは難しいよな。

 

そもそも生き物というものは介護が必要なほど長く生きる想定ではないのだと思う。

医療に携わって思ったのが医療というものはその生き物が持つ運命に抗う行為なんだと思う。

人々の死にたくない、死んでほしくない想いが医療という形でこの世に存在しているのよね。

その末に発生するのが介護なのだとしたら、無視はできないよね。

どうしたらいいのかまでは分からないけど。

 

 

ついでに、介護については埼玉県にある「デイサービス ラスベガス」というところが私の理想の介護施設である。

なんて楽しそうなの!!

 

老後はこうでなくては!というのを体現している。

もし私に無限にお金があったら実家の近くに作りたい。

 

育児については現在注目しているのはシングルマザー向けシェアハウス。

途中で触れたように、人間は群れで生活する生き物だから困ったら群れれば良いんだよ。

そういう意味では群れることができる程度のコミュ力があればどうにかなる!と思う。

色んな人が色んな形で群れられる世界だと生きやすいよね。

人と一緒に住みたくない人はメタバースとか。

 

 

 

しかし、育児って時間が取れない。

なかなかブログを書く時間もないし、毎日同じことしてるだけだから書く内容もない。

 

でもブログに書くことを見つけようとアンテナ張りながら生活することは私にとってすごく良い刺激になってるな、と感じる今日この頃。