一昔前、私の中で「死ぬ気で頑張る」という言葉が流行った。
流行ったと言うか頑張らないと!と思った時に真っ先に浮かぶ言葉がこれだった。
時が経ち、ネットサーフィンしてた時に「死ぬ気で頑張るな、殺す気でやれ」という言葉を目にし、目から鱗が出る思いになった。
そうだよな、
例えば若い頃の私なんて勉強とかスポーツくらいしかやってないのに、それって死ぬ覚悟を持ってやることか?
殺す気でやることでもないけど、要は「死ぬ気でやる」って自己犠牲の極致みたいな考え方なんだよね。
自分のためにやることを自己犠牲の極致の心意気でやるの、意味不明だよな。
でも若い頃の私が「死ぬ気で頑張る」って言い回しを知ってたくらいだから、どこかの誰かが使っていたのだろう。
話は変わるが、私は昔からジェンダー問題について考えている人間だ。
以前はステレオタイプに「男性の配慮が足りないから日本における女性の地位が低い」と思っていた。
しかし、実際に仕事をしてみて思ったのが、そんなに制度が不十分なのだろうか?ということ。
女性を何%管理職にするみたいな話とかあったが、そもそも男女平等なら適正のある人間を管理職にすればいいだけでは?
しかし、実際には女の人で管理職になりたい人がそもそもそんなにおらず、パーセンテージで管理しないといつまで経っても女性管理職が増えない、みたいな側面があった。
あと、妊娠したら動けなくなるし、その間は他の人がフォローしないといけないってなると、フォローしてくれた人達に何か恩恵がないとその方が不平等な気もした。
要はそう思うくらい余裕がない職場だったんだと思う。
しみじみ思うのが、日本人の男性は働きすぎなのだと思う。
死ぬ気で働く男性社会に無理やり女性を押し込んでるからいつまで経っても余裕がなく、妊娠出産後に女性が働けなかったり、子育てとの両立が難しいから管理職になる気にならなかったりと歪みが出るのだと思う。
みんな死ぬ気で働きすぎなのである。
死ぬ気で頑張るって聞こえはいいけど、要はそれ以上がないから思考停止でもあるのだ。
死ぬ気でやるな、生き延びるための覚悟を決めろ、と思う。
日本人は自殺者が多いことで有名だが、死ぬ覚悟で学校や仕事に行くのって日本人くらいなのでは?と思う。
これは自殺した人を揶揄しているのではなく、日本全体がそういう病気になってるのでは?と思うということだ。
学校も職場も生きるために行くところであって、死ぬ覚悟で行くところではない。
あと、死ぬ気で頑張るというのはある種のエクスタシーでもあるのだと思う。
死ぬ気で頑張ってる自分、すごい!!みたいな。
だから職場という聖域に女性が入ることが許せなくてセクハラとかで無意識に追い出そうとするのだと思う。
だって大体の女性は夫婦共に死ぬ気で仕事したら家庭が崩壊するから、よほどのことがない限り死ぬ気では働かない。
彼らの世界とは真逆の存在なのだ。
だから目障りなのだと思う。
家庭で妻にモラハラするって言うのも、死ぬ気で頑張る俺すごい、死ぬ気ではないお前はすごくないからすごい俺の言うことを聞け、と言うことなんだろう。
これって戦前から日本人の意識があまりアップデートされてないってことなのでは?と思うのだ。
自己犠牲の極致で社会にご奉仕する男性、それを支える女性って戦前なのだが。
そのわりに社会に対する意識は希薄。
だって死ぬ気は思考停止だから。
死ぬ気で頑張る以上のことは人間にはできないからね。
最近あった自衛隊のセクハラ問題だって、自衛隊とか人手不足で困ってるのに、わざわざ気骨のある若い人材をセクハラで辞めさせて、結局人手不足が解消しないって何がしたいの?という感じである。
でもそれを許しちゃう(隠蔽する)くらい自己犠牲がエクスタシーな世界なんだろうな、とも思う。
自衛隊とか死ぬ覚悟の人ばかりだもんね。
でも落ち着いて考えてほしい。
国防は命の危険はかなりあるが、絶対死なねばならぬわけではないのだ。
生き残るために頑張ってほしい。
そのために防衛費を使ってほしい。
そんなところから日本を変えてほしいな。
私も草の根運動として、我が家では大黒柱ニ交代制を採用している。
前半の大黒柱は夫、後半は私。
あと、生きて頑張ることが親としての勤め、死ぬ気で仕事をするな、と口を酸っぱくして言っている。
思えば、生き残る覚悟というのは私が海外で生活した時に身につけたものだ。
死ぬ気の自己犠牲なんか人から付け入られる隙でしかないからね。
つまり生き残る覚悟って本当に覚悟を決めて頑張った時に見えるものなのだと思う。
みんなも生き残ろう!!