自分を咀嚼する

ライフステージという考えがあるらしい。

お金持ちになって、ブランドに囲まれて、キラキラした雰囲気で生きるのがステージが高いとして、泥まみれで自分の見た目に構わずに働くのをステージが低いとする。

私は公務員をしていた時に一瞬ライフステージが上がった時があった。
特殊な免許を持っているから給料が少し高かったので高い化粧品を使い、少し高めの服を着たりしてみた。
確かに私は可愛くなったが中身は泥まみれで働くような精神だったため、別にモテなかった。
ご飯をゆっくり食べた方がいいだの、もう少し可愛い性格にはなれないのか等、色々言われた。
そして、地元の友達と何を話せばいいのかも分からなくなった。
お金や権威みたいなものを持っていると周りが私を見る目が変わる、と思った。
そして私自身も無意識の優越感的なものがあった気がする。私も変わったのだ。

結局、私はその少し高いライフステージが合わなかったようで公務員の仕事を辞め、泥まみれで働く場所に移動した。
ただ資格が強いので権威が少なからず発生して、他の人と仕事をすることに難しさを感じるようになった。
権威があるというか、責任があるというか。
たぶん私が負わなければならない以上の責任を進んで負っていたのかもしれない。
資格に強い力があるだけで、私自体は大したこともないし、他人を守る義務もないし、自分の仕事を自分の範囲内でやれば良かったなーと反省というか内省している。
昔、給料高い人は低い人よりも働くべき、と言われて、それを引きずっていたのだ。
でも私の給料が高いのは私が大学に行って、難しい資格を取得した点を評価された結果であり、他の人が私より給料が低いのは私には関係ない話なのである。
それは職場の問題であって私の問題ではない。

なんというか、私は傲慢な人間なんだろうなと思う。
二律背反的な考えというか。
他人に優しくしないと、他人の理想を体現しないとと思えば思うほど、それが傲慢な心根に繋がっている的な。とんでもない上から目線というか。

そしてそれを他人に強要する悪癖があるのだ。上司は優秀でないといけないとか、そう言う類の感情ね。
でもそれは私が勝手に考えてることだなって今更ながら思う。

あと、公務員時代の見た目は可愛くなっても中身が変わらないのは、サバサバしているというよりは中身は優秀だという驕りがあるから外見と合わせようとしなかったんだろうと思う。
仕事を評価しろ!みたいな感じ。
今思えばそんなに優秀だったか?と思う。

外見を磨いたり、戦略的に人に好かれたりとかってそれもテクニックだし、テクニックを使うっていうのは自分に足りないものをそこでフォローしようという謙虚な心持ちの表れでもあると思う。


人に対して強がってるけど自分を評価して欲しい、なんなら他人に評価されなくても私は私!みたいな人って若いというか未熟感があるし、私もそうだったなって思う。
周りに対する配慮が足りないんだよね。

若いうちから完璧である必要はないけど。むしろ若いうちから外見と中身を同時に磨ける人がいたら、とんでもなく出来る子である!!

私も出来る子を目指したいなと思う。

まあ今は夫が満足してくれるレベルのステージでいいや。そしてそれはそんなに高くない。
お金節約したいしね!あとステージの高い生活(自分にたくさん投資する生活)は今の私には合わないのだ。

少しずつ夫の求めるステージの女性になろう。
今度一緒に理容室に行ってシェービングしようって話もしたし、ペディキュア塗ったりしようかな。
2人で少しずつ自分達に合った生活を目指せれば。



30歳も中盤になり、私って自分が思うより性格が良くないなということに気づく。
わりと傲慢でナチュラル上から目線だ。
あと頭の回転は速いが、その分思考が浅い。

でもそれと同時に私ってこういうところが良いところなんだっていうことにも気づく。
意外と人に好かれる。
オーストラリアの語学学校で多くのクラスメイトが私とは話しやすいと言っていたいう理由で表彰されたことがある。
何で話しやすいのかは私には分からないし、たぶん一生分からない気もする。
でも人に言われないと分からない私の特性だ。
あと思考は浅いけど、その後反省はしている。

歳を取ってやっと理解した特性や反省点を上手く使ってこれからの人生を生きていけたら良いなと思う。
結婚したし、子どももできたし、でもやっぱり仕事をしたいし、覚悟を持って色んなことに臨めれば。

覚悟を持つというのは無理をするということではなく、強かに生きるということだ。
自己を犠牲にしないというか。
自己を犠牲にしないというのは周りを犠牲にするということではなく、上手くやるということだ。

難しいからと言って出来ないとは限らない。
もう少し年相応に強かになるのが私の今後の目標である。